日本地理と日記、滝、水色ビーノ

最初の数件は日記とは関係なくて、そのあとは誰に見せるでもない日記を置いておいてあります

2021年9月21~23日の日記、徳島への滝旅行

9月21日

疲れていたのに意外と寝れず。4時まで起きてしまう。どうなってんだ俺の体。

15時起床、18時なかもずへ出発、20時半府大へ到着。

今日が教養科目の二次抽選の期限だったので、それをしに大阪へ帰ってきたようなもんなんだけど、肝心のPCルームはシステムの更新だかで閉まっていた。しょうがないのでスマホで教養科目の申請をする。デイリーカナートでカレーうどんとコーラとホットケーキを買う。

教養抽選に1分遅れたような気もするんだけど、どうなんだろう・・・表示としては出来てるような気がする。

 

徳島行こうかな…もうこんな休みないだろうし。

 

9月22日

またもや昼夜逆転して夜更かし、7時まで起きてシャワーを浴びてからやっと眠る。13時起床。16時ごろまで日記を書いたりYouTubeみたり昨日のホットケーキ食べたり。

徳島どうしよう・・・

 

9月23日和歌山・日和佐

日付が変わるころ行く決心を固め、午前2時半、紙袋に服を詰めて、ビーノの置いてある府大へ。出発する前に、瀬戸内海のフェリー料金をまとめた紙を写真に撮る。何かに使うかもしれんからね。

御堂筋線の続きみたいな道を西へ進んで、国道26号線に当たったら左折して南下する。ローソン岸和田荒木町店でメーターの写真をとる。13452㎞。府大からこの場所まで14.73㎞あるので旅の始まりは13437㎞だね。

さらに南に進んでローソン阪南自然田店へ。この時点で午前4時半。第三便の「フェリーあい」が和歌山港を出発するのが午前5時35分。まだ結構距離があるのに…というか和泉山脈すら超えられていないのに、しかも30分前までには受付をしておいてくださいと書かれていたのに残り1時間。結構急ぎつつ、半ばあきらめつつ走った。こういう時はもう余裕で間に合わないってだんだん分かってきたけどね。俺の時間意識の低さ。寒かったので阪南自然田店では温かいコーヒーを買った。のんびりしてんな。

 

和泉山脈を越えるルートの中では西から三番目の峠(厳格に数えれば4番目)は、JR阪和線とか阪和自動車道とかが通っていて、太くて開けた場所かと思っていたけれど、下道はぐねぐねと曲がった峠道だった。

和歌山県側に出て直線の道路になって急に現れる、和歌山ジャンクションの高い高い高架橋がめっちゃ格好良かった。星空の中を走っているみたいだった。道が照らされているわけではなかったから写真には全く映らなかったけれども、夜空に溶け込むようにはるかな高みを通る、細い道路に未来の世界を感じた。トラックが通るとちょっとだけ照らされて、光の粒がゆっくり横切っていくんだよね。

 

そこから紀ノ川方面へ南下。縮尺が小さいままグーグルマップを見てたせいで左折があることを知らず、間違えて田んぼの中を走ったりしていた。「こんな真夜中にこんな遠くの田舎の、あぜ道同然の細いコンクリートでUターンさせられる羽目になるとは…」って思ってた。

 

背後から太陽が迫ってきているなか。さっき乗り越えてきた和泉山脈を右側に見ながら24号線を走る。コロナ禍なのに奈良市ナンバーなことを若干気にしつつ、紀州大橋をわたっていよいよ和歌山市街地へ。橋の上からの朝焼けも、写真は撮れなかったので記憶にしかないけれど遠くの山まで広がる紀ノ川沿いの平野が淡く染まっていてとても綺麗だった。

 

JRの和歌山駅の大きなロータリーで時間をつぶせる場所をちょっとだけ探す。見事に晴れわたる秋空で、朝の澄んだ空気がオレンジから水色、青色へと変わるグラデーションが最高だった。

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駅から少し離れたセブイレに停めて、このあと何をするかを考える。セブイレに来た時点でちょうどフェリーは出航しており、次の便は3時間後。3時間というの地味に長い。とりあえず朝から入れるであろう和歌山城に向かうことにする。困ったときは史跡。

 

朝日が差し込む駐輪場にビーノを停めて、歩いて和歌山城をぐるっと一周する。天守閣がオレンジ色に輝いていた。

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こんな朝早くから、しかも平日の木曜日から、お城を見に来ている若者なんているはずもなく、全員がおじいさんとおばあさんだった。もれなく全員。

10名ほどで記念撮影をしている集団のインストラクターのような、比較的若い女の人におにいさーん!と呼ばれて写真撮影を引き受ける。おばあさんが「おにいさんだって!笑」って言っていた。いいじゃろおにいさんで。

 

その後和歌山城の南側の、道路に面した歩道を歩いて、もう一度和歌山城の敷地に入る。東側の太いお堀の水面に、対岸の官公庁が写っていた。城壁のぎりぎりまで行くことが出来て、そこには柵もなにもなく、解放感があったけれどちょっと怖かった。写真じゃ分からないんだよね、この水面までの高さと対岸のビルまでの距離。ビルの奥から朝日が差し込んできていた。

ビーノまで戻って、まださらに時間があったのでコメダ珈琲へ。7時着。コンセントのあるカウンター席に座って充電させていただく。モーニングを注文する。あんことトースト、コーヒーから昇る湯気が、すごく「朝」を感じる。

気づけばもう8時前で急いで南海フェリーの乗り場へ。ずいぶん前、今調べたら2020年の6月21日に訪れた時に、「いつか行きたいな~」って思っていた場所だね。急いで受付をすます。10分も経たずに購入できた。

8時30分の便に乗る。駐車場で信号待ちをして、白い車がウインカーを出さずに信号を待っていたので「直進ってことはフェリー勢か、そのあとに続けばいいや」と思っていたら、素知らぬ顔で右折していった。

スマホとチケット片手にフェリーへ乗り込み待ちの列に並ぶ。いや~~旅が始まるって感じがしますな。

すでに待ってるバイクが5台、みんな黒の大型バイクで、原付なんて、しかも水色なんて俺一人だった。俺が受付をした時間はけっこう遅めだったと思うんだけれど、俺の後にも3人ほど、そのうちの一人が唯一の自転車だった。自転車1、原付1、バイク8くらいやね。あとトラックが5、乗用車が15くらい。けっこう待ち時間が長かったんだけれど、「バイクは最後に呼ばれると思います~…すいませんね」みたいなことを言われたので苦じゃなかった。最初にそう言ってもらえると覚悟が出来るのでありがたいよね。バイクはトラックや乗用車よりも後に呼ばれた。青空をバックにフェリーとかビーノさんとかバイクの写真を撮ることが出来て良かった。気持ちい青空でした。

最後にみんなでぞろぞろと先頭車両についていくの面白い。いつかこの通路を通ってフェリーに乗り込むんだよな~って思っていた通路は通らず、その下を潜り抜けて、原付と一緒に甲板…甲板とは言わないのかもしれないけど、ドック?に入っていった。船と港をつなぐ、トラックの荷重にも耐えられる鉄板は滑らないようにボコボコと溝や出っ張りが多くて、原付のタイヤには悪路だった。それはそれで楽しいけれどね。

手信号で誘導された場所に停車する。手荷物をとって、ヘルメットはシートの中に入らなかったので外に引っ掛けた。ひっかけていていいのかな、とも思ったけれども何も言われなかった。手際よく甲板に固定されるビーノさん。かわいい。

ドック?の中を歩いて階段へ。船内の階段を見て、ずいぶん昔に小豆島に行くためにフェリーに乗った記憶が蘇る。たしかにこんな狭い階段を登った気がする。

電車でも指定席・自由席の区分があるのに、フェリーがどうなのか分からない。基本的には自由席なのか、それとも座ってはいけない指定席も一部あるのか不安でとりあえずテラスのベンチみたいな場所に荷物を下ろす。結局、みんな好き勝手に座っているようなのでコンセントがあった席にすわる。快活クラブのオープンシートみたいな場所。

和歌山港がだんだん離れていって、「うわー旅が始まったな~」感が素晴らしい。めちゃくちゃ良かった。友人のTに、伝わるかどうか分からなかったけどとりあえずLINEしてしまった。いいぞ~って。

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興奮して船内で自撮りする筆者近影

甲板を流れる海の風、流れていく島々、デッキにもたれて景色を見ている自分を客観視して「旅してるわー」って思った。みんなそれぞれが思い思いに数時間の船旅を楽しんでいるように思えた。よく見たらずっと座席の上でゲームしてる少年も、家族連れも、仕事で…みたいな人も居た。この航路はけっこう実務でも使えるんだろうな。車で行こうとしたら阪神高速をぐるっと、しかも都市部をずっとまわらないといけないもんね。淡路島も広いし。

 

船は淡路島の南側を進んでいく。船内の様子をひっきりなしに撮ったり、自分の席と甲板を行ったり来たりして「フェリー初めてなんだろうな」って思われたと思う。

ちょっとずつ移動していく淡路島とか、その南側の小島とか、遥か遠くに見える四国の山々、徳島市の市街地の写真を撮った。鳴門海峡に架かる大鳴門橋も見えた。

 

徳島が近づいてきて、猛烈に眠気が襲ってきて、ブース席でひと眠りしていると肩をたたかれて起こされる。気づいたら船内にはもうほとんど人が居なくて、とっくに徳島港に接岸していた。となりの人が気を利かせて起こしてくれただけだった。遥か遠くから見えた時に、下から見上げたいなと思った徳島港の入口にある高い橋もまるで通り過ぎていた。ねむりこけとる。起こしてくれた人に感謝して急いでドックへ戻る。二時間と10分くらいの航海だった。

暗いドックから、光で溢れている出口へ原付を走らせる。さあ徳島だ!って光景だなぁって思った。

出口には「ようこそ徳島へ」と書かれた看板があった。こういうの嬉しいね。奈良市ナンバーで徳島県の道路を走ってるんだなぁっていう感慨に浸っていた。徳島の人からしたら本当に普通な、工場の多い埋立地の道路を、一方俺は感激しながら走ってるっていうこと自体が面白い。フェリーが着岸した港を横切る橋を渡るために少し北上して、進路を南へ。橋の上からの景色は少ししか見れなかった。左手にはさっき寝ていて見逃した橋、とその奥に広がる紀伊水道の海。右側には徳島の市街地が広がっていた。

地図で見たらわかるんだけれど、吉野川以外にも徳島市街地にはたくさん川が流れていて、そこを一気に越えるために高架橋が続いていた。高いビルはないんだけれど、密集したマンションやビル群が多くてさすがは県庁所在地って思った。あんまりキョロキョロして事故を起こしたら意味ないので安全に運転する。

すぐに徳島南部へ、今回の目的である轟の滝方面に走ってしまっていいのか分からなかったので一旦高架橋を下りて、地元で評価の高いパン屋さんへ。足袋蔵パン工房ryeというところ。埋め立て地の先端に近い場所の幼稚園のとなりにあった。

パン屋さんは思っていたよりも高い値段設定でビビったけれども、店員さんと喋れたし、初の徳島県民との会話…とか思えたからまぁいいでしょう。ソーセージパンとピザパン、あとおすすめのくるみとイチジクのハードパンで950円した。ソーセージパンを選んだ時に「お若いからね~」みたいに言われてうれしかった。

それだけじゃ心もとないので、500mくらい内陸へ戻って地元のスーパー「デイリーマート津田店」で焼きそばとお茶を買う。

そんなこんなでもう12時。まだ滝というのがどれだけ時間との戦いなのか、そもそも旅というのがどれだけ時間を早く進めるものなのか分かっていなかったので、のんびりと南へ進む。看板にはずっと「室戸 100㎞」と書かれていた。これがね、この数字が全然減らない。本当に減らない。いつまでも95㎞とか89とかデカい数字。でも室戸という単語が道路の行き先表示に書かれているの、「あぁ四国に来たんだ」って思うよね。

 

徳島市から小松島市へ。ファミリーマートでお金をおろして、阿南市から美波町牟岐町へ。この途方もない距離。日記でサラリと書いていい距離ではないし、写真フォルダを見ても数枚でけっこうな距離移動している。乗ってる間は写真撮れないからね。これだけは強調しておきたかった。

 

さて四国の東側、徳島市から室戸市を経由して高知市に至る国道55号線をずっと進む。たまに県道130号線。

海岸沿いの道路からいつの間にか山間部へ。奈良の山の中みたいな道路を走っていると、「秘境赤滝」と書かれた大きな看板があり、国道を外れて山間部へ入っていく。この赤滝が本当に曲者で、道路が狭くて四輪車だと厳しい道を走らせる。看板の大きさに見合わない整備のされてなさ。原付の良さを痛感した。赤滝まで一本道じゃなくて、いくつかの集落を取り囲んだり分岐したりしていて、一度道を間違えて、同じ場所まで戻ってくるために数キロ走ることになった。

グーグルマップの口コミでは、赤滝まで車を進めると急に道が途絶え、転回すらできないらしい。まぁ原付だもんで何も気にせずに進んでいったら本当に道が民家の前で終わっていた。その民家は国道からずっと離れているのに立派な造りをしていて、開けた谷地に面していて素敵なおうちだった。

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民家の邪魔にならないように、赤滝に訪れましたよ、というのが分かるように看板の近くにビーノを停車する。そこから看板に従って、徒歩で赤滝に向かう。水がめちゃくちゃに綺麗。少し青みがかっていて、どこまでも澄んでいた。

昔は田んぼだったんだろうなということが分かる、やけに平たい草原が川から少し高い場所に作られていた。徳島のこんな山奥に、山を切り崩して道を通して、川から水を引いて農業を始めた遥か昔の住人のことを思うとともに、人工物は人の手が入らなければあっというまに消滅していくんだな、と思った。

赤滝までの道はひどかった。砂利ならば小石どうしがぶつかって踏みしめられて歩きやすいし、大きな石がある場所ならその石を飛びつつ歩けるのだけれど、ちょうど「僕の体重を支えられない程度の大きさの石」が道をずっと覆っていて、一歩踏み出して体重をかけるたびに石積みが崩れ、とても歩きにくかった。下ばかり見ていても蜘蛛の巣や芋虫が上から糸を垂らしていることがあり、それに引っかかってしまうので歩くのが難しい。

 

山にへばりつくようにあるその道は、山側からの倒木や落石で歩くことができず、原っぱに変わり果てた田んぼをつっきって、よじ登って道に復帰することが必要だった。逆に帰りは道から外れて、田んぼの部分を歩く感じ。

 

その道路を進んでいよいよ山の中へ。サルの声が聞こえてくる。こんな場所で襲われて、携帯は圏外だし、大けがしたら自力で国道まで戻るしかないんだなって怖くなる。

川を飛び越えたところでついに蜘蛛の巣に引っかかってしまう。それも猛烈に。たぶん立派なクモの巣だったんだと思う。ウキャッって誰も居ない山の中でサルみたいな声で叫んじゃった。視界のそとに蜘蛛らしき黒いものがぶら下がるのが見えたような、幻覚のような。必死にはたいて、まぁはたいたところで蜘蛛の巣に効果的なのかは分からないけど、なんなら蜘蛛をつぶしそうだけれど、その手を止めることはできんし、それはもう嫌な気持ちになりながら歩みを進める。さらに蜘蛛の巣に引っかからないように木の棒で空中を引っ掻き回したり、できるだけ巣を壊さないように頭をかがめたりしてね。まだ蜘蛛が首筋にくっついてるんじゃないかという不安に襲われる。

 

ついに現れた赤滝は思っていたよりもずっと大きかった。大きな石が川をせき止めて造られたような滝もあるなか、赤滝はちゃんと川が崖から流れ落ちて滝になっていた。直前まで大きな崖が存在するような地形じゃなかったからより驚いた。木々の間から見える崖、それがどれだけ高いのかは葉っぱに覆われて見えないほどで、そこを流れる白い流水には興奮した。

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名前の通り確かに岩肌は赤黒い色をしていた。岩に沿うように流れているので滝壺は小さく、すぐ近くまで近寄れた。

 

滝を見ていると、滝に向かって右側、左岸側から「バサッバキバキッ…ドッ」という音がした。振り返ると葉っぱがひらひらと数枚、ゆっくり舞い落ちていた。何かと思いつつ、また写真撮影をしていたらもう一度同じような音がして、また振り返る。小さな石ころがパラパラと崖を転がっていて、やっと合点がいった。落石が木にぶつかって枝を折り、葉っぱを落として、地面にぶつかったんだのだ。もしかすると先ほどから聞こえているサルや鹿とか動物の仕業かもしれない。落石って気をつけようが無いから怖いよね。ヘルメットほしいな。

 

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しばらく赤滝に癒され、まぁここまで来るのが大変だったというのもあって十分すぎるほど堪能して、徳島で買ったパンも食べてから帰路についた。もちろん誰も来ず、すれ違うことすらなかった。

帰り道は行きの自分が蜘蛛の巣を除去してくれているのである程度の注意で歩けた。

 

国道に戻ると午後二時半。日和佐という港町でガソリンスタンドによって、また山間部へ。このままだと全然轟の滝につかないことに気づき、国道のトンネルの手前で、友人Mから教わったサイト「Agoda」を使って、今晩の宿を探す。安いゲストハウスが上手いこと見つかった。今考えれば、徳島の南側という田舎で泊まれる場所がないかもしれないのに無計画によくやるなぁって思う。安くていい宿があって良かったよね。

原付を停めて宿を探している間に、ずいぶん前に抜かした、白装束を来た二人組が、多分お遍路巡りをしてる二人組なんだけど、その彼らが徒歩でまた追い抜いていってびっくりした。少しAgodaめぐりをしただけなのに追いつくという徒歩の速度。徒歩とかいう全然前に進まない交通手段、実はめっちゃ早いのね。休まず歩くことのすごさ。昔話でいうと亀別に全然速い。

 

しかしまぁ宿が見つかった場所はさっき通過した日和佐という町。自治体としては美波町というところ。まだ時間が余っているので、日和佐の一つ先の町、牟岐町まで行ってからUターンすることにする。

牟岐町にある貝殻の博物館「モラスコむぎ」の閉館時間を見つつ、セブンイレブン海部牟岐町店でお茶を買う。そこから方向を変えて南阿波サンラインを走る。

サンラインの始まる場所にグーグルマップでピンが押されていて、「牟岐苔アート」とあったので楽しみにしていたら、そこには特に何もなく、よく探したら岸壁の苔が削られてトトロの絵になっているだけだった。苔はもうとっくに乾いて枯れていて、トトロがかろうじて認識できるくらいだった。こんなものでも登録できちゃうグーグルマップの懐の深さと、それにつられて遠方から人が来ちゃったらどうするんだ問題を考えた。こんなこともできちゃうんだなぁ。

 

モラスコむぎなんて妙な名前だな…貝の博物館か…そういえば貝を砕いてタイルのようにして絵を描く技法があったよな、その名前がたしかモラスコにめっちゃ似てたような…そうか、「貝」を意味する言葉、何語かわからないけれど、元の言葉になるものがあって、技法も博物館もそこから来てるんだ!

って思ったのもつかの間、その技法の名前が「フレスコ」だということに気づき、さすがにフレスコとモラスコはだいぶん違うだろうとなって予測が外れていることを悟った。

 

こんな風に、「新しく得た情報」と、「今までに得ている情報」を照らし合わせて、自分の中で分析とまではいかない考察をして、つまり自分の中で自分自身と会議しているから一人で行動していても、たとえ徳島の端っこまで来ても寂しくないんだよな~って思った。

まぁこれは、オードリー若林がのannの中で、京都に旅行したうえで気づいたことを話したことの丸パクリになるね。寂しくないのよ、自分としゃべってるから。

さてモラスコむぎはサンラインを右折して海岸へずっと降りていって、海のすぐ近くにあった。田舎の博物館という感じ、博物館というよりはただ貝を展示している場所だね。受付をしたおばさまも貝についての知識が豊富な学芸員とかではなさそうだった。こんな場所で一日ぼんやりして生活していきたい。おばさまがぼんやりしてるって言ってるわけではない。どうみても。

館内では眠くて仕方がなかったんだけど、いい感じに座れる場所がなかった。背もたれのない椅子はあったけれど、背もたれが無いならビーノの上も一緒じゃんってなった。

雰囲気は良かったね。あと展示の説明をどっかに書き写しておきたい。中学生が校外学習でやるような、あのボードでパンフレットを挟んでメモしていくやつ、あれを今やりたい。当時はめちゃくちゃめんどくさかったんだけど、自発的にやりたいって思うようになるとは。

 

換気のためか入り口ではない場所も解放されていて、砂浜に出られるようになっていた。となりに青少年の家があって、磯の学習といっしょにモラスコむぎで勉強するんだろうな。

海岸線から20mくらいのところに小さい島があって、地図で見ると神社があった。干潮になるとその島まで渡れるらしい。ちょうどいい大きさ、左右対称のこじんまりとしたかわいい島だった。インスタグラムのストーリーにその場で載せる。

その後駐車場に戻って、受付のおばさまが車で帰るのを見送ってからさっきのサンラインに戻る。

展望台が四つあったので、一つずつ寄り道していく。一つ目の展望所で徳島で買った焼きそばを食べる。ずいぶん長いこと運んできたな。美味しかった。

 

夕日が室戸岬の方に沈んでいって、櫛比する山々の色が、ひとつずつ違うのが良かった。時間によって変わっていくのが色彩だけじゃないんだなってわかった。濃い山影からだんだん奥に行くにつれて空気によって拡散されて淡い色になっていくんだよね。

室戸があの向こうにあるんだ、って思った。四国はあまりにも広大だ。

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もう俺の人生でここには来ないって思ったら、「このさきがけ崩れにより通行止め」の看板がすごく気になってしまって、時間に追われているわけでもないので、原付で降りて先を見に行く。崩壊しているギリギリまで行けるわけでもなく、ただ道の途中にコーンが置いてあるだけだった。道の先にはすこし海が見えた。

 

このあたりの海岸は、太平洋の荒波に削られた急峻な山と、そののこぎりの刃のようなギザギザの谷間に、小さな砂浜が点々と抱かれるように存在していた。天然のプライベートビーチを使ってホテルもあった。

サンラインを抜けて、もう暗くなった日和佐の町へいく。山に目を向けるとそこには煌々と光り輝く、赤いロケットのような巨大な仏塔が建っていてびっくりした。

日和佐の民家や小さな商店を抜けて、突き当りを曲がって、看板の出ている路地、「壱 THE HOSTEL」の庭先に入っていく。普通の民家がホステルに改装されたみたいなところで、広場でおにいさんが二人で飲んでた。右側にはパブが併設されていて、人も多かった。その辺に停車して、室内に入る。内装もおしゃれだった。

おにいさんの説明を聞く。こういったホステルとかゲストハウスとか初めてなので…って言った。日和佐の温泉や見どころ、営業時間まで教えてくれた。歯ブラシ100円出して買った。

ここには滝を見に来たんですよ、とかテーブル越しにしゃべった。うれしいことに今日泊まる同じ部屋の宿泊客はいないらしくて、自由に過ごすことができそうだった。

荷物を置いて、もらった地図を片手に、19時前くらいに日和佐の町の散歩に出る。ホステルの目の前の道がお寺へ続く一本道なのだが、お寺と逆方向に歩いてさっき教えてもらったコンビニくらいの大きさのスーパーに寄る。そのまま北河内谷川という川に架かる橋の上からお寺を見る。

山の斜面に建つお寺のそのふもとを、ちょうど電車が通りがかったので動画を撮った。JR牟岐線、阿波・海南方面へ行く電車で、今調べてみると一日に11本しかないらしい。二両編成の小さな電車が暗い町を通っていって、車窓の光が河口の静かな水面に映っていてきれいだった。全然動画だと伝わらないんだけどね。

そのまま橋を渡って対岸を進むも、お寺への橋もなさそうだったし、地図を見てもお寺にはたどり着かないっぽいので、もと来た道を歩く。少年が二人自転車にまたがって橋を渡っていた。こんな時間に、どこに行くんだろうか。この町でどんな生活をしているのか気になった。

ホステルの前を通り過ぎて、国道の信号を渡ってお寺へ行く。薬王寺という名前で、四国八十八か所の二十三番札所らしい。昼間に見たあのお遍路さんはこのお寺を出発したんだろうか。

昼間に日和佐の町を通り過ぎたときにはなんで気づかなかったんだろうというくらい日和佐の町ではインパクトのある赤い仏塔は、照明で照らされて暗闇にその輪郭をくっきりと表していた。案の定、照明器具には虫がたくさん集まっていて、なんならきれいだった。火の粉がはじけているみたい。

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階段を上っただけあって、ホステルの前の道路、北河内谷川の河口、町の民家や国道、遠くのほうにあったコーナンやドラッグストアのあかりなど、日和佐の町が一望できた。

そこまで広くない敷地に、大きな建物がひしめき合っていて、大きなお寺なんだなって思った。人の姿はまったくなかったけれども雰囲気のいいお寺だった。

その後町の南側へ、国道沿いに歩く。携帯ショップを通り過ぎて、バスタオルを買うためにドラッグストアへ入ったり、でも売ってなくて引き返してファミリーマートでタオルを買ったりした。携帯ショップあるの意外だったよね。しかも結構おしゃれなつくり。

道の駅の看板に、「美波町 最大津波高21m 津波影響開始時間10分」と書かれていて、この町が直面している危機について考えさせられた。あのおしゃれなホステルも、自転車の少年も薬王寺も、等しくこの危険性の上にあるんだなって思った。今という光景の貴重さよ。

その後も町を散歩する。駅に近い、三階建ての大きな建物の最上階から太鼓の音や笛の音が聞こえてきて、今は9月も下旬なのにこれから夏祭りでもあるのかなと思った。駅に近いのに畑が残る田舎で、そこかしこを暗闇が覆うような町で聞く太鼓の音って、不安になるような、でも懐かしいような感じがするよね、駐車場には車がいっぱい停まっていて多くの人がそこで何かお祭りの練習をしているようだった。海岸からはまあるいお月様がのぼっていた。

さてご飯でも食べるか、と思ってグーグルマップで調べた「ひわさ屋」というごはん屋さんへと行く。グーグルマップではまだ営業している時間なのに、店内に近づいてみるとすでに閉店していた。じゃあ…と思ってまた歩いて別のお店へ行く。ここは半分居酒屋さんみたいなお店で、定食もあるらしいんだけれど、居酒屋がメインのお店に一人で入ることにひどく躊躇した。しかも中の様子がのぞけないようなすりガラスにのれんの二重がまえ。なんとか様子をうかがい知るために入口近くに行くと、常連客かと思われるお客さんの笑い声が聞こえてきた。こんな町の、常連客だらけのお店に入る勇気はないんだけど、それでもこの町まで来た意味を見出し、さらには自分が成長するためにも、意を決してドアを開ける。「一人です~」と言いながら人差し指を立てた。これは「一人」が聞き取れない場合の、客の人数の表明である。考えられる可能性をすべて排除するのである。

するとおばちゃん店員さんが「もう今日は終わりです~」って言ってきた。まさかあの声全部が客じゃないのか??と混乱する。「あっは~い…」なんて誰に聞かれてるかもわからないか細い声で呟きながら、すぐに回れ右して、ドアから出る。出るときにひも状の暖簾にめっちゃ絡まる。ウワーってなる。退散間際に聞こえてきたのは「あーいいよいいよ、あんたらはいいよ9時までおって」というおばちゃんの声。なるほど、常連さんだけにはまだ開放してるんだな。まぁ常連さんだもんな。ちくしょうだったら最初から看板を出しておいてくれ。今日は営業終了しましたっていう看板を。勇気を振り絞った行動はやはり報われないのだ。

ここが開いていないとなればもはやどこも開いていなさそうなので、とぼとぼとホステルに戻る。歩きながら、ふと顔を上げるとあの仏塔が目に入ってくる。町のどこにいても見れて面白い。悪の組織の本殿みたい。街の明かりが弱いからまぶしいほどに見えるんだよね。シャワーを浴びて、スマホやモバイルバッテリーを充電しながら眠る。

 

長くね?日記。翌日これより長いんだけど。